幻に終わったヒクソン・グレイシーvs長州力

 今年でヒクソン・グレイシーvs高田延彦戦が行われて20周年を迎えた。マット界は高田の敗戦はあくまで対岸の火事でしか留めておきたかったが、次第にK-1やPRIDEの格闘技がブームとなり、プロレスは押されはじめ、新日本プロレスも90年代の新日本人気が下火になりかけたのもあり、観客動員数もどんどん減り始めていた。そこでオーナーだったアントニオ猪木が暴走王・小川直也を軸にして格闘色の強いプロレスへの転換を図り、ワールドプロレスリングを放送していたテレビ朝日も他局と比べて格闘技には乗り遅れたのもあって、新日本に対してMMAをやるべきと求めるようになっていた。 

 そこでテレビ朝日にヒクソン・グレイシーの代理会社からヒクソン戦の放送を持ちかけられていた。ヒクソンは高田戦以降PRIDEを離れ、2000年5月にはテレビ東京が主催する「コロシアム2000」で船木誠勝と対戦して破ったものの、観客動員が思ったより入らず収益にならなかったためテレビ東京は撤退、テレビのバックアップを失った実行委員会は格闘技中継に乗り遅れたテレビ朝日と接触、テレビ朝日の中継でヒクソンの試合を放送させようとしていたのだ。

  しかし肝心の新日本プロレスは乗り気ではなかった、理由はヒクソンと対戦できる相手は小川しかおらず、その小川も新日本の所属ではなく、あくまで大手芸能事務所がバックにいるUFOの所属に過ぎなかったからだ。また小川が勝ったとしてもギャラが釣り上がり、小川が負けたとしても新日本の負けとなって、受けるダメージも計り知れないものがあることから、新日本にとってリスクの高い賭けには乗ることが出来なかった。

  それでもヒクソンという大きい素材を逃したくなかった新日本側は永島勝司氏や倍賞鉄夫氏が交渉役となって代理会社側と話し合い、倍賞氏が「長州が出てもいいと言っている」と持ちかけると、代理会社もテレビ朝日も乗り気となり、代理人会社も代理会社側は直ちにアメリカへ飛んでヒクソンと交渉、ヒクソンは長州のことはまったく知らなかったが、50歳近い年齢と聴くと笑って承諾したという。新日本もテレビ朝日も勝っても負けても長州なら船木と比べてビックネームであり、一度引退しているレスラーであることから、負けても新日本の受けるダメージは軽く、観客動員や視聴率が見込めると踏んで長州を人選したのだ。

  だが長州本人はどうだったのか?後年長州は「真説・長州力」でヒクソン戦の話が持ち上がっていた事実はあったが「契約までいくという話ではないです。周りが騒いでいただけですよ」と答えていたが、知らなかったはずはなく、少なくとも永島氏や倍賞氏から報告を受けていたはず、だたこの頃の長州は猪木の現場介入で現場監督としての立場が微妙になってのもあり、新日本もテレビ朝日も長州vsヒクソン実現へ動きだしていたことから、長州もヒクソンと対戦せざる得ず、渋々承諾したと考えるのが自然なのまもしれない。

  ヒクソン戦を承諾した長州はサイパンで合宿を張り、2001年5月5日の福岡ドーム大会で中西と組み、小川&村上一成のUFO組と対戦。長州は小川を仮想ヒクソンに仕立てて試合に臨んだが、いざ小川と対戦した長州は小川の左フックを顔面に喰らって倒れ、倒れた際に顔面を蹴られてしまう。小川はマウントパンチから亀になった長州をスリーパーで捕らえる。中西がカットに入って長州は九死に一生を得たが、再度対峙しても小川のパンチを顔面に浴び反撃できない。試合は中西が村上をしとめたが、長州は小川のパンチが全く見えなかったと永島氏に明かし、「ヒクソンとの試合は取りやめにして欲しい」と訴え、テレビ朝日も小川相手に何も出来なかった長州を見て、長州vsヒクソンは断念せざる得なかった。  

 代理会社側はヒクソンに長州戦はダメになったと報告すると、「ここまできてキャンセル、今更なぜなんだ!」と怒り、新日本も代替案として格闘技修行を行っていた佐々木健介の相手として打診するも、違う人間の名前を出したことでヒクソンは態度を硬化させてしまう。またヒクソンも長男であるハクソンを交通事故で亡くし精神的なショックを受けたことで試合をする気はなくなっていた。こうやって長州vsヒクソンは幻に終わった。  

  その後ヒクソンは2002年8月8日、UFOが主催するMMAイベント「LEGEND」に来賓として招かれ試合を観戦、リングにも上がり「100%戦える状態に戻った」とアピール、メインでマッド・ガファリを降した小川はヒクソン戦をアピールして、UFOも実現へ動き出したが、金銭面で折り合いがつかず断念、船木戦がヒクソンにとって事実上現役最後の試合となった。だが皮肉なものでヒクソンに敗れた船木はMMAで復帰を果たし、現在はプロレスラーとして活躍している。高田vsヒクソンが実現して20年が経過したが、格闘技ブームやヒクソンの名前もすっかり過去のものになった… 

 (参考資料、日本プロレス事件史Vol.4 田崎健太著『真説・長州力』より)

伊賀プロレス通信24時

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