メインで行われた中西&中邑vs藤田&カシンは藤田のサッカーボールキックを浴びせ中邑をKOで藤田組が勝利も、試合後に猪木が登場、ダウンしている中邑を引き起こして、怒りの表情で殴り蹴りつけた。実は後年に中邑がカード変更を猪木に抗議しており、猪木は「怒りを見せろ!」と答えるだけで、中邑の抗議を受け付けなかったことに怒り、猪木に対して「私は猪木さんに中指立てますよ」と言い放っていたという。
藤田から制裁されるだけでなく、猪木から殴る蹴ると追い打ちされた中邑は悲しげでやるせいない表情を浮かべ、バックステージに下がるが、下がる中邑に猪木は「遠慮するなと言ったはずだぞ! 男を見せろ、この野郎!!」と叫び、藤田に対しても「オメエらも遠慮無く殺せ!コノヤロウ! オメエらが高い壁になれよ! 頼むぞ!」と激を飛ばし、「123ダー」で締めくくられた。」自分は猪木がレスラー猪木の眼をしていたことで"これぞアントニオ猪木だ”と一人納得してドームを後にするも、バックステージでは中邑が「次、猪木が殴ったら殴り返す!」と怒り、「やってられねえ、って」会場からそのまま実家に帰ってしまった。
のちに安田拡了氏は週刊プロレスで「猪木としては、そのDynamiteに新日本の選手をどんどん参戦させたいはずだった。曙も来ていたし、K-1の選手が多く訪れていた。彼らに新日本の強さというものを見せつけたかった。それがあったからこそ、試合前に中邑に「遠慮するな」と言葉を送っているのだ。」と記しているが、それが猪木の真意だったとしても、猪木に反発したことでの制裁、理不尽なカード変更とファンの民意を踏みにじった猪木への怒りを感じていた中邑には届くことなく、また「新日本側の憤りは、マッチメークという名の元にブッキング料をゴソッと猪木事務所に持っていかれ、新日本の収益が理不尽にもなくなってしまうことなのだ」と週プロに報じられたことで、猪木の真意もファンに届くことはなかった。 13年前の一件を今になって振り返ったが、猪木の怒りに説得力があったのは確かであり自分もレスラー猪木の目を見て納得していた。しかしファン投票でメインが棚橋vs中邑が選ばれた時はファンが望んだのは新日本の未来であり将来であることを棚橋も中邑も実感しているはずであり、大阪ドームでは例え少ない観客であろうと、新日本の将来を見せる試合にしたかったはず、それだけ猪木と選手やファンとの意識にズレが生じて、今回の一件で修復不可能になるぐらい亀裂が深まったが、猪木にしてみれば「頼ってきたのは新日本だろう」であり、将来より目先の猪木に頼ってしまい、新日本も頼った手前猪木に意見することが出来なかった。今思えば猪木が全て悪いのではなく、猪木に依存しきっていた当時の新日本にも原因があったのではないだろうか・・・
2004年11月13日のことを誰か猪木に聴いてほしいと思うのだが、おそらく猪木は「そんな昔なこと忘れた」とトボけると思う。猪木が何を伝えたかったのか、猪木の口から聞くことがなければ永遠の謎として終わりそうだが、わかるのは猪木から子殺しを受けたのは、ハッスルポーズを否定された小川と、猪木から制裁を受けた中邑だったということだ。中邑は2009年9月27日に猪木に挑戦発言をしたことで、猪木という呪縛を脱し、小川はハッスル離脱後はIGFに参戦、表向きはリスペクトは口にしても、猪木に対する面白くない感情は抱えたままで、再び疎遠となっている。
しかし大阪ドーム大会では猪木とは別にもう一つの事件が起きていた。
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