チャンピオンカーニバルヒストリー④ ブロディ、天龍が参戦!

81年にはブルーザー・ブロディがチャンピオンカーニバル初参戦を果たした。

 <1981年度出場選手>ジャイアント馬場 ジャンボ鶴田 タイガー戸口 石川敬士、グレート小鹿、大熊元司、プリンス・トンガ、ロッキー羽田、ブルーザー・ブロディ、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ジャック・ブリスコ、キラー・ブルックス、ジ・アベンジャー、ウエイン・ファリス  

1981年度からは優勝決定戦方式ではなく、最多得点を獲得した選手が優勝という方式が取られ、参加選手も全日本が創立10周年記念ということで、セントルイス(サム・マソニック)プエルトリコ(カルロス・コロン)フロリダ(エディ・グラハム)デトロイト(ザ・シーク)カナダ・バンクーバー(ジン・キニスキー)テネシー(ニック・グラス)などNWA各会員からの推薦という形を取り、ブロディ、元NWA世界王者だったブリスコ、ブルックス、日本陣営からはトンガが初参戦、1979年度に一度参戦した石川はこの頃には海外武者修行を終え日本に定着していた。当初はジョージア推薦(ジム・バーネット)で昨年度準優勝だったスレーターが参戦する予定だったが自動車事故の影響で参戦は中止となった。 

 セントルイス代表として参戦したブロディは1980年1月に初来日を果たし、身体能力の高さを見せつけてタッグマッチながら馬場からフォールを奪うなどファンに大きなインパクトを与え、1981年から全日本マットに定着し始めていた。

  ブロディは3・26後楽園での開幕戦ではリングアウトながらも5分で戸口を粉砕、石川を2分、小鹿を3分、後にホンキー・トンクマンとなるファリスにいたっては16秒と秒殺、大熊を3分と速攻勝負の連発で連勝を重ね、4・10広島でのブッチャー戦では両者流血戦の末に両者リングアウト、トンガを4分、ブルックスを2分、アベンジャーを3分と速攻で勝利を収めた後は、17日の秋田で2連覇を狙う鶴田と対戦し両者リングアウト、20日の大館ではブリスコと対戦して両者リングアウトとなるなど、2試合連続無得点試合で急ブレーキがかかる。最終戦の4・23大阪では19点の馬場を18点の鶴田、ブッチャー、ブロディ、ブリスコが追いかける展開となったが、ブリスコは全公式戦を終えていたため脱落。鶴田はブッチャーと直接対決も両者リングアウトとなって脱落し2連覇を夢を絶たれてしまう。優勝争いは馬場とブロディに絞られ、直接対決で馬場がフライング・ボディシザースドロップで3カウントを奪い3年ぶりの優勝を果たし、ブロディは優勝できなかった。チャンカンを終えると、後半からは特別参戦したドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンクのザ・ファンクスを含め、リーグ戦上位7選手とインターナショナル王座争奪トーナメントが開催されたが、ブッチャーと戸口はシリーズを終えると新日本プロレスへ引き抜かれ、チャンカン参戦はこの年で最後となった。

 <1982年度出場選手>馬場、鶴田、天龍源一郎、阿修羅原 マイティ井上 佐藤昭雄 石川 小鹿 大熊 トンガ 羽田 ブロディ ビル・ロビンソン テッド・デビアス モンゴリアン・ストンパー アレックス・スミノルフ バック・ロブレイ ビル・ハワード

 第10回目を迎えた82年には前年から海外遠征を終え第3の男へと急成長を果たし天龍が初参戦を果たした。この年はブッチャーが全日本を去ったことでブロディがトップ外国人選手へと昇格、チャンカン初参戦のロビンソン、ストンパー、スミノルフ、ロブレイ、ハワード、そして前年に崩壊した国際プロレスから移籍した原、井上、ブッカーとして日本に定着していた佐藤を加え、最多の18選手がエントリーも原は家族の不幸で開幕から欠場してしまい、全戦不戦敗扱いとなった。

 

 天龍は3・19後楽園での開幕戦では石川と対戦し、場外での延髄斬りからネックブリーカーでリングアウト勝ちで白星発進、その後ロブレイから勝利、デビアスとは時間切れ引き分け、トンガ、佐藤、ハワードと順調に白星を重ねるが、3・26越谷では遂に馬場とシングルで対戦、正面から攻める天龍に対し、馬場は余裕の試合運びを見せ、天龍は延髄斬りで反撃するが2発目はかわされると16文キックからの河津落としで3カウントとなり完敗、天龍は後に「オレ自身が吹っ切れる前だったから、あんなにデカイ人とやったら息があがっちゃうよ、勝手が違って空回りした」とコメントしていたとおり馬場と天龍の差はこの時点ではまだまだ歴然としていた。急ブレーキがかかった天龍はストンパーに勝利も、ブロディには3分で完敗、ロビンソンにも敗れるなど連敗、後のない状況へと立たされるが、その後スミノルフ、小鹿、大熊、羽田に連勝して踏ん張りを見せる。優勝争いはロビンソンがリーグ終盤に左膝を負傷して欠場してしまったため脱落、26点のブロディを25点の馬場、鶴田、ブロディに絞られ、23点で自力優勝が消えていた天龍は鶴田と初対戦、鶴田相手に延髄斬りやトペスイシーダで攻め込み、鶴田もダブルアームスープレックスやダイビングボディープレスと返す好試合となり、試合は30分フルタイムドローで鶴田は脱落も、天龍自身は「これでプロレスで飯を食っていける」と自信を深めた試合となった。優勝はブロディと馬場に絞られ、初優勝を狙うブロディは場外戦でテーブル攻撃を狙ったが、制止に入ったジョー樋口レフェリーを突き飛ばして失神させてしまい、レフェリーとしてシリーズに参加していたルー・テーズがサブとして入るが、ブロディはテーズにも暴行を振るったため反則負けとなり、馬場が2連覇を達成した。


 そしてチャンピオンカーニバルは10回を節目にリーグ戦は封印されたことでブロディは1度も優勝できず、天龍が優勝したのは馬場や鶴田のいない19年後の2001年だった。