スーパー・ストロング・マシンヒストリー③平田淳嗣として迎えたもう一つの全盛期も、マスクマンに拘ったレスラー人生

 1986年4月から全日本プロレスにすることが出来たハリケーンズだったが、最初は三人セットで全日本マットに上がっていたものの、次第に全日本本隊に叛旗を翻したザ・グレート・カブキ、長州に叛旗を翻したキラー・カーンとの共闘、ラッシャー木村と阿修羅・原の国際血盟団との共闘で便利屋的ポジションに甘んじるようになり、またマシンは原と組んでアジアタッグを奪取、ヒロは世界ジュニアヘビー級王座奪取、体格のある俊二は馬場に気に入られてAWAに海外武者修行へ出されるなど、個々の活動が多くなっていった。馬場もハリケーンズに対しては一定の評価はしていたが、充分に売り出されていないままで新日本を飛び出したこともあって、ハリケーンズの価値は全日本プロレスでは小さなものでしかなかった。 

 ところが1987年にジャパンプロレスに分裂騒動が起きると、ジャパンの後押しを受けたハリケーンズも否応なく巻き込まれてしまう。マシンとヒロは長州に追随して新日本に戻ることになり、アメリカにいた俊二は全日本に留まることを決意、ハリケーンズはマット界の流れに振り回される形で解散を余儀なくされてしまった。

 長州軍団の一員として新日本に戻ったマシンだったが、その後起きる世代闘争でも藤波辰己、長州力、前田日明に割って入ることが出来ず、1988年3月にジョージ高野と組んで烈風隊を結成し、長州&マサ斎藤組からIWGPタッグ王座を奪取するが短期政権に終わり、脇役的ポジションに甘んじるようになる。

 マシンは再浮上のためにヒロ、後藤達俊、保永昇男のヒールユニットであるブロントアウトローズに合流、長州に叛旗を翻してヒールターンを果たす。長州が保持していたIWGPヘビー級王座に挑戦し、そしてヒロとのコンビで馳浩&佐々木健介を破りIWGPタッグ王座を奪還して存在をアピールするが、馳&健介組との再戦に敗れ王座を明け渡すと、それと同時にアウトローズも失速、アウトローズはレイジング・スタッフとユニット名を改め、リニューアルを果たすも、越中詩郎が平成維震軍を結成したことで、存在が薄れ始め、原との縁で天龍源一郎の団体であるWARと共闘するも、後藤が維震軍に移ったことでユニットとしての存在意義を失い、レイジングスタッフは自然消滅してしまう。

 新日本で居場所を失ったマシンはレンタルという形でWARに参戦、レンタル期間を終えるとマシンは本隊と離れ一匹狼となっていた蝶野正洋と合体しSGタッグリーグ戦から新日本に復帰を果たすも、蝶野はマシンとのタッグは最初から乗り気ではなく、新日本から指示で組んでいたに過ぎなかった。そのせいか誤爆を繰り返すなどしてギクシャクとするも、どうにか優勝決定戦に進出、武藤敬司&馳組と優勝を争うことになったが、蝶野はこの辺で見切り時と考えたのか、マシンが窮地に立ってもカットに入ろうとしない。蝶野の態度に怒ったマシンはラリアットを見舞った後でマスクを脱いで平田淳嗣の姿を晒した。優勝は逃したが、これを契機に平田として新日本本隊に戻った。マシンとしても新日本やWARでもインパクトを残せなかったことを考えると、新日本で新たなるポジションを得るには、マスクを取って大きなインパクトを与えるしかないと平田なりに妥協したのかもしれない。

 平田は橋本真也とのタッグで蝶野正洋&天山広吉の蝶天タッグとIWGPタッグ王座を巡る抗争を繰り広げ、遂に王座を奪取し6度防衛の長期政権を築き、またシングルとしても平田として武藤敬司が保持していたIWGPヘビー級王座にも挑戦、王座は奪取できなかったが平田淳嗣としてもう一つの全盛期を迎えた。


  素顔としてもう一つの全盛期を迎えた平田だったが、マスクマンへの愛着がまだ残っていたのか、星野勘太郎率いる魔界倶楽部入りし、魔界1号として再びマスクマンへと変身、敢えて一歩引き参謀役として活躍したが、実際は格闘家中心でありサボり癖のある安田忠夫に対しての、お目付け役的なポジションだった。魔界倶楽部解散後は全日本プロレスにも参戦してスーパー・ラブ・マシンに変身してラブマシンズを率いた。

2005年には後藤達俊と共にブッカーに就任していたが、現場監督として新日本に戻った長州力と対立して解任、一時は反体制に回ったがユークス体制となっていったことでレジェンドとして扱われるようになった。長州とも和解したマシンは蝶野、ライガー、越中と共にレジェンドというユニットを結成したが、長州と蝶野が新日本を離れたことで自然消滅。永田裕志に招かれて青義軍入りを果たすが、この頃から後進の指導にあたるようになって、試合数も少なくなり、2013年3月10日以降からはセミリタイアとなった。 

 平田淳嗣というレスラーはマシンとなってから数奇なレスラー人生を歩んでいったが、そういった意味では夢と現実というものを身に染みるほど味わったレスラーはいなかったのではと思う。もしマシンではなく平田として凱旋していたら、どういうレスラー人生を歩んでいたのだろうか…