アントニオ猪木vsマサ斎藤、巌流島の決闘① 全ては世代闘争への反発から始まった

 1987年10月4日、宮本武蔵と佐々木小次郎の決戦の場である巌流島でアントニオ猪木がマサ斎藤と一騎打ちを行った。

 同年3月、ジャパンプロレスから新日本プロレスへのUターンを目論んだ長州力が先兵としてマサ斎藤を送り込み、猪木は斎藤と3度に渡って対戦して全て勝利を収めたが、3度目の対戦となった6月12日両国で行われた第5回IWGP優勝決定戦後に、長州が「藤波、前田!今こそ新旧交代だ!、藤波、前田、今しかないぞ!俺達がやるのは!」と世代闘争を藤波辰己、前田日明に呼びかけ、スーパー・ストロング・マシンや木村健悟も呼応、猪木も「受けてたってやる、てめえら力で勝ち取ってみろ!」応じることで世代闘争が勃発、猪木&斎藤&坂口征二&藤原喜明&星野勘太郎率いるナウリーダーと、長州&藤波&前田&マシン&木村のニューリーダーと世代交代をかけた抗争が勃発した。

 実は世代闘争はテレビ朝日側のアイデアで、「ワールドプロレスリング」は金曜8時から撤退し、「ギブアップまで待てない!ワールドプロレスリング」とタイトルを改めて火曜8時に移行していたが、移行時のバラエティー色がファンに受け入れられず、視聴率は一桁台に低迷、視聴率回復の切り札として新日本にUターンした長州も全日本や日本テレビとの契約がクリアされないため、テレビの画面に映ることはあっても試合を放送することが出来なかった。そこで考えたのが世代闘争で、猪木率いる正規軍、長州率いる長州軍、前田率いるUWF軍の三つ巴では視聴者に伝わりにくい、二つに編成してわかりやすさを全面的に押し出そうして視聴率回復を目論んでいた。長州も猪木を押しのけてトップに立ちたいだけでなく、"新日本へUターンしたからには大きなインパクトを残したい"と考えていたことからテレ朝の考えに乗り、IWGPを途中欠場していた藤波、前田とも会談して共闘へ向けてしっかり根回しをして、"いつまでも猪木の時代ではない”と意見が一致、共闘へ向けて合意に達した。

 やる気となったニューリーダーに対し、猪木は「なんで若い連中を引き立ててやる必要があるのか?」というのが本音で、世代闘争には乗り気ではなかった。理由は世代闘争は"猪木降ろし"の意味が込められていたことが猪木にはわかっていたからだった。この頃の新日本プロレスは1983年の「クーデター事件」からテレビ朝日に主導権を握られており、「猪木ではもう視聴率は稼げない」「長州と藤波にバトンタッチすべきだ」という声がテレ朝側だけでなく新日本内部にも出始めていた。猪木はテレビ朝日やニューリーダー達に新日本を任せる気はなかったものの、この頃の猪木はレスラーとしてのピークが過ぎたことでの体力の衰え、事業であるアントンハイセルの経営破綻、夫人だった倍賞美津子との離婚問題などを抱え、心身ともに体調もベストではなかったこともあって、世代闘争を潰す手立てを見出せていなかった。だが世代闘争に乗り気でなかったのは猪木だけでなく斎藤も同じで、これまで反体制として長州と組んで体制側に噛みついてきたが、猪木と組んで長州と対戦することにはピンと来なかった。

 8・19、20と「サマーナイトフィーバーイン・両国」が開催され、メインは猪木率いるナウリーダー(猪木、斎藤、坂口、藤原、星野)vs長州率いるニューリーダー(長州、藤波、前田、マシン、木村)による5vs5のイリミネーションマッチが組まれたものの、ナウリーダーの副将格の斎藤がパスポートの不備でアメリカから出国できなくなったことを理由に欠場、代役には次世代の武藤敬司が抜擢されるたが、斎藤が無理にでも参戦しなかったのは、世代闘争に乗り気でなかった表れかもしれない。肝心のイリミネーションマッチも、猪木が長州や藤波、前田とも絡ましなかったことで、猪木との対戦を狙う新世代に対して冷や水をかけてしまう。猪木はやっと前田と対峙するも、ヘッドシザースを仕掛けて場外心中を図って両者オーバー・ザ・トップロープで失格となり、長州と藤波は残った武藤に集中攻撃をかけ、藤波がジャーマンスープレックスで勝利を収める。20日のタッグマッチでも藤波と組んだ長州は猪木のパートナーである武藤をバックドロップで仕留め、結果的にはニューリーダーが連勝も、この時点でもまだ長州のテレビ登場はクリアされていなかったことから、ビッグマッチにも係わらずノーテレビとされ、肝心の対戦でも猪木が前面に出なかったことで、新世代の勝利もインパクトに欠けたものになり、長州にとっては満足のいくものではなかった。

 8月24日から開幕した「戦国合戦シリーズ」も斎藤がが入国ビザのトラブルを理由に欠場するが、7日の京都大会に斎藤が突如現れが猪木と会談し「なんで20年間、一匹狼でアメリカで生き抜いてきたオレがニュージャパンの体制に入らなければならないんだ。猪木を倒すことが目的なんだから。今度こそ最後の勝負に挑みたい」と直談判する。猪木と斎藤は東京プロレスからの仲で、同年齢だったこともあって、互いにリスペクトし合っていた仲でもあったが、斎藤は常に猪木をライバル視しており、これまで新日本に上がって敵対してきたのも、常に猪木を追いかけてきたからだった。だからこそ長州の推進する世代闘争には乗り気になれず、中途半端な気持ちで猪木と組むどころか、長州とも対戦できないと考えた上での行動だった。

 そこで猪木が「巌流島で闘うなら、斎藤の挑戦を受けてやろうじゃないか!」斎藤に対して巌流島の決闘を提案する。世代闘争を潰すための手立てを見出せなかった猪木にとって斎藤の要求は良いタイミングだったに違いない。猪木は"長州らと戦うより、オレと斎藤にしか出来ない究極を戦いをすることで、長州ら新世代だけでなく、オレを降ろしたがるテレビ朝日にも意地を見せるために巌流島の対戦をぶち撒けたのだが、実は巌流島の対戦は藤波のアイデアで長州とやろうとしていたものだったが、猪木が頂いてしまったものだったのだ。

  猪木の巌流島発言に"世代闘争を無視している"としてニューリーダー達が猛反発するものの、藤波が「誰が闘いというのはレスラーの自由」と容認する発言をする。猪木の首一つを目的として長州、藤波、前田は結束してきたが、長州がテレビ問題がクリアされていないこともあって藤波にニューリーダーのまとめ役を任せていたものの、藤波が長州と共闘した理由は心身共に体調が良くない猪木を気遣っていたことで、猪木を押しのけてトップに立つ野心は薄く、前田も世代闘争ではなく個人闘争を求めていたこともあって、ニューリーダーらの足並みが乱れ始めていた。9・17大阪でのイリミネーションマッチの再戦ではニューリーダーは欠場の木村健悟の代わりに高田伸彦を抜擢、対するナウリーダーは前回出場しなかった斎藤は出場も、首を負傷した星野に代わり、既に試合を終えていたディック・マードックを抜擢、マードックも猪木の期待に応えて、開始早々長州と場外心中を図って失格、前田も斎藤の監獄固めに捕獲されギブアップで失格してしまう。最終的にはナウリーダーは猪木と斎藤、ニューリーダーは藤波だけが残り、二人は大流血となった藤波を競うように痛めつけるが、斎藤がとどめのバックドロップを決めたところで、猪木が張り手でカットして藤波をカバーして勝利、試合後に猪木と斎藤が口論となる後味の悪い終わり方となったが、この時点で二人は巌流島決戦に目を向けていた。(続く)

(参考資料 ベースボールマガジン社 日本プロレス事件史Vol.25 マサ斎藤著『監獄固め』血風録)