1982年7月16日、新日本プロレスの「82サマーファイトシリーズ」が福岡中間体育文化センターから開幕、シリーズにはディック・マードック、アドリアン・アドニス、グレック・バレンタインを筆頭に、初代タイガーマスクへの刺客としてダイナマイト・キッドがブレット・ハートを伴い参戦。後に"ヒットマン”としてWWEで大スターとなるブレットだったが、この時点ではまだキッドの子分的な扱いに過ぎなかった。
この頃のタイガーは5月にレス・ソントン、ブラックタイガーを立て続けに連破してNWA&WWFのジュニア二冠王になり、前シリーズでは2度に渡ってウルトラマンの挑戦を完勝で退け、WWF王座を防衛していた。
ところが右膝半月板の手術を終え、前シリーズから復帰していたアントニオ猪木が今度は糖尿病から来る内臓疾患で倒れ、再びシリーズを全休することになり、「82サマーファイトシリーズ」は猪木抜きで開幕せざる得ず、ヘビー級へ転向したばかりの藤波辰己とタイガーが猪木の留守を預かることになった。
23日の石川大会でタイガーとキッドがノンタイトルで対戦する。開幕戦ではタイガーは木村健吾と組み、キッド&ハート組と対戦するが、ブレットの援護を得たキッドがダイビングヘッドバットでヘビー級の木村から3カウントを奪い勝利を収め、1月に来日したころと比べてパワーアップしており、TVで見ていた自分も今回のキッドは一味違うと感じさせた。またこの試合はTVのマッチの生放送で藤波vsマードックを差し置いてメインに抜擢されていた。シリーズ終盤にはWWF王者だったボブ・バックランドも特別参戦し藤波が挑戦することになっていたが、まだシリーズの主役になりえる存在ではなかったことから、それだけ新日本も藤波よりタイガーを頼りにしていたということなのかもしれない。
序盤からタイガーが得意のタイガースピンから足攻めでリードするも、ロープに逃れられたところでキッドはハンマーで反撃、ロープを使ったチョーク攻撃とラフで流れを変える。キッドの突進をリーブロックでかわしたタイガーはローリングソバット、ドロップキックを放つ。
キッドはタックルから足攻めで反撃、タイガーはブリッジで耐えると覆いかぶさるキッドはブリッジを潰しにかかり、モンキーホイップの要領で回転エビ固めで切り返したタイガーはヘッドシザースホイップも、キッドも着地、タイガーもヘッドスプリングと意地を見せる。
タイガーはタックルからスピニングレッグブリーカーと再度足攻め、インディアンデスロックで捕らえるも、キッドはレッグスプレットで切り返し、ボディースラムからニードロップ、ダブルアームスープレックスと畳みかけるが、逆水平、エルボーを放ったところで、タイガーもフロントキックからローリングソバット、サマーソルトドロップ、レッグドロップと応戦する。
タイガーはスリーパーで捕らえるが、リストロックの奪い合いから読み合いとなり、場外に逃れたキッドにロープを掴んでのフェイントで牽制も、ブレットのアドバイスをもらったキッドは反撃しヘッドシザースで捕らえ、タイガーは倒立で逃れるが、キッドはワンハンドバックブリーカーを連発、頭突きから逆水平、サイドスープレックス、首投げからレッグドロップ、スリーパーと首攻めで流れを変える。
場外に追いやられるタイガーは呼吸を整えてからリングに戻り、タイガーはキックで反撃すると、セカンドコーナーからエルボードロップ、ヘッドシザースと絞めあげてからフライングクロスチョップを発射、ブレーンバスターからコーナーへ昇り、ダイビングエルボードロップを投下するが自爆、バックの奪い合いからタイガーがヘッドロックで捕らえたところでキッドはバックドロップで投げ、コーナーからダイビングニードロップを投下するが、今度はキッドが自爆となってしまう。
タイガーは足へのローキックから足四の字で捕獲すると、ロープブレークしようとするキッドをブレットがアシストすると、これに怒ったタイガーはキッドとブレットを同士討ちさせ、キッドを場外に追いやってスペースフライングタイガードロップを炸裂させるが、後ろのブレットがキッドのクッション代わりになったため威力が半減してしまう。
キッドは場外でのツームストーンパイルドライバーで逆襲すると、キッドはタイガーを鉄柵に叩きつけてから突進するが、タイガーはうっかりショルダースルーで鉄柵外へ出してしまい、当時のルールで鉄柵外へ相手を出してしまうと反則負けとなるルールが適応され、タイガーは反則負けとなってしまった。
自分もテレビで見た時は、タイガーのミスで反則負けとはいえ、無敗を誇ったタイガーが負けたという衝撃は大きく残り、ブラックタイガーよりキッドの方が強いことを印象付けてしまった。
タイガーは7月30日の愛知県体育館大会でブレットを降してWWF王座を防衛した後で、8月5日にWWF王座をかけてキッドと再戦した。
開始から両選手はすざましい読み合いも、タイガーがローリングソバットを一閃してキッドを場外へ追いやり、タイガーがトペを狙うと、キッドも読んで素早くリングに戻るが、キッドの動きを先読みしたタイガーはクロスボディーを浴びせる。
二人はリストロックの攻防からタイガーが足を払って倒し、キッドがリストを奪っても タイガーがスピンで切り返して腕を奪うが、ハンマーの連打で逃れたキッドはキチンシンクからスリーパー、逃れたタイガーはリストロックで捕らえ、キッドはロープに逃れ、タイガーがブレークに応じたところでキッドがハンマーで強襲、キチンシンクを狙うが、読んだタイガーはソバットでキッドの足を払って倒す。
タイガーのエルボードロップをかわしたキッドはモンキーホイップはタイガーが着地、キッドのドロップキックはタイガーがかわすとバックの奪い合い、キッドはタイガーの足を捕らえてレッグロックで捕らえるが、タイガーも切り返してレッグロックで捕らえる。キッドに対してリードを許さない。
逃れたキッドは場外戦を仕掛けるとブレーンバスターからレッグドロップを投下、リングに戻ってからは頭突きからサイドスープレックス、首投げからエルボードロップ、ヘッドシザースと一気に試合の流れを変えたかに見えたが、ヘッドスプリングで逃れたタイガーはローキックの連打、ローリングソバットから場外めがけてブレーンバスターで投げ捨て、鉄柵に叩きつける。
リングに戻るとタイガードライバーと言われたフロントネックチャンスリーからサイドスープレックス、そしてヘッドシザースで捕らえ、キッドは倒立で逃れようとするが、タイガーは脳天を突き刺して逃さず、ロープに逃れたキッドにパイルドライバー、ロープワークからショルダータックル、だがもう一発はキッドがアームホイップで投げるとドロップキックを放つが、向かってくるところでタイガーがモンキーホイップで場外へ落とし、エプロンに立ったキッドにクロスボディーを放つが、かわされてしまい自身がロープに直撃してしまう。
これを逃さなかったキッドはニードロップからコーナーに叩きつけ、カナディアンバックブリーカーは汗で滑って失敗も、キッドはエルボードロップを投下、スリーパーからヘッドシザースへと移行し絞めあげるが、逃れたタイガーはリバースインディアンデスロックで切り返し、弓矢固めへと移行する。
タイガーはキッドが左足を痛めたと見てローキックを連打、左足を攻めるが、キッドはアッパーで逃れるがパイルドライバー狙いはタイガーがリバース、レッグドロップからサマーソルトドロップ、そしてクロスボディーを狙うがキッドはかわしツームストーンパイルドライバーからダイビングヘッドバットを投下、これで勝負あったかに見えたがタイガーはカウント2でキックアウトする。
タイガーはショルダースルーでキッドを場外へ追いやるとプランチャスイシーダを発射、そしリングに戻るとロープ越しでサイドスープレックスの体勢から強引にツームストーンパイルドライバーで突き刺す荒技を敢行、最後はラウディングボディープレスで3カウントを奪い、キッドからリベンジを果たした。
タイガーとキッドのシリーズ中の攻防は何度も繰り広げたが、一番のピークは間違いなく昭和57年の7~8月、無敵のヒーローが敗れることは許されないものかもしれないが、敗れた相手がキッドだったからこそ許されたのか、仮面ライダーやウルトラマンも負けるときがあるが、必ず立ち上がって再戦では勝った。負けて立ち上がったこそタイガーマスクはヒーローになりえたかもしれない。
1983年4月に再び来日したキッドは1日の後楽園大会でのタッグマッチでタイガーをツームストーンパイルドライバーで突き刺し首に大ダメージを負わせ、首を負傷して欠場を余儀なくされたタイガーは保持していたWWF、NWAの二冠王座を返上、4月21日蔵前国技館でWWF王座決定戦として二人は対戦したが1度は両者フェンスアウトとなり、延長戦になるも、今度は両者リングアウトとなり、二人の試合では初めて引き分けとなった。TVで見ていた自分も次に対戦することがあればタイガーは負けると思っていたが、8月でタイガーマスクは引退、二人の戦いは終止符を打たれた。
1984年1月にタイガーの引退で空位となったWWFジュニア王座決定リーグ戦が行われ、キッドとデイビー・スミス、そして新日本がタイガーの後釜として売り出そうとしていたザ・コブラの間で三つ巴による王座決定戦が行われ、キッドはコブラを破り王座を奪取、タイガーの後を引き継いだが、キッドも11月に新日本を離れた。
(参考資料 新日本プロレスワールド、タイガーが初黒星を喫したキッド戦は新日本プロレスワールドで視聴できます)
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