ザ・デストロイヤー

日本プロレスに初来日し、全日本プロレス旗揚げ時には長きに渡って所属選手として日本に滞在、プロレスのみならずバラエティー番組にも出演、アメリカへ帰国後も93年7月の引退まで全日本に来日し、日本政府より秋の叙勲も受賞、日本にも年に1回来日していたザ・デストロイヤーさんが死去した(本名リチャード・ジョン・ベイヤー)享年88歳、デストロイヤーさんは2月19日にジャイアント馬場追善興行に来日する予定だったが、飛行機に乗れる状態でないため来日をキャンセルしていた。


   デストロイヤーさんはWWA世界ヘビー級王者として、初来日し力道山と対戦、足4の字固めを巡る攻防でファンだけでなく、視聴者にも大きなインパクトを残し、視聴率も64パーセントを記録した。
  力道山死去後も、日本プロレスに来日して豊登やジャイアント馬場、アントニオ猪木と対戦、1972年からは日本人選手が手薄だった全日本プロレスに定着、アブドーラ・ザ・ブッチャーとの抗争や、ミル・マスカラスを始めとした覆面レスラーとの覆面10番勝負で活躍、日本テレビのバラエティ番組「うわさのチャンネル」にもレギュラー出演し、お茶の間の人気者となり、和田アキ子さんとも親交を深めた。
1979年にアメリカに戻った後は、年に1回のペースで来日し1993年の引退まで全日本に来日、引退後も年に1回来日し日本政府より秋の叙勲も受賞まで受賞した。
  ルー・デーズやフリッツ・フォン・エリックと並んで一般にも知名度の高く、日本に認められた外国人レスラーだった。

ご冥福をお祈りします。