TV朝日で深夜に放送された「有吉・マツコの怒り新党」で新日本プロレスに殴り込みをかけた大仁田厚と当時ワールドプロレスリングのアナウンサーだった真鍋由(現在社会部記者)による大仁田劇場が放送されたが、改めてこの頃の新日本プロレスを振り返ってみたいと思う。
1998年の新日本プロレスは1月に長州力、4月にアントニオ猪木が引退し、猪木の引退興行では70000人を動員したが、ドーム大会をやるのにネタ切れの状態だった、そこでFMWを追放に近い形で去っていった大仁田が新日本プロレスと全日本プロレスに参戦をアピール、そして大仁田は竹内宏介氏を介して当時の新日本の仕掛け人だった永島勝司氏の接触、現場監督だった長州力のGOサインも出て大仁田は新日本参戦となった。
しかし大仁田参戦に新日本のオーナーであるアントニオ猪木が異を唱えた、勝負論を唱えている猪木にしてみれば負けても存在を打ち消すことが出来ない大仁田は否定すべき存在、大仁田を挙げてしまえば新日本がやってきたことを否定することになると危惧していたが、長州と永島氏は東京ドーム大会での集客力を重視し大仁田参戦を踏み切ってしまった。
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