1992年10月23日、WAR後楽園ホール大会にてWARの不動のエースだった天龍源一郎が北原光騎と組んで新日本プロレスの反体制ユニット・反選手会同盟の越中詩郎、木村健悟を迎え撃った。
事のきっかけは同年5月にメガネスーパーという巨大企業が資本を持った団体SWSが分裂、天龍は自分を慕ってきた選手達と共に新団体WAR旗揚げへと動いており、天龍はマスコミに「全日本プロレスの13年間をたった2年間で食い潰したやめられない。もう1回、天龍源一郎の勝ちを見直させてやる。これまで肩身の狭いをさせてきた黒と黄色のTシャツ(レボリューションTシャツ)を着た人たちに瞬間でもいいから"よかった”という気持ちにさせたあげたいね。そして長州、俺は引退試合をお前とやりからな。お前じゃなきゃ駄目から、それまで辞めるなよ!」とvs長州をアピールしたことが全ての始まりだった。
この話を聴いた当時の新日本プロレスの企画部長である永島勝司氏が「美味しい材料が入った」と感じ、坂口征二社長、倍賞鉄夫取締役を伴って天龍と武井正智取締役本部長のWAR側と会談、新日本側は反対意見が多かったが、現場監督だった長州が反対を押し切り、新日本vsWARにGOサインを出した。
しかし長州は自分が出ることはせず、vsWARに越中、木村、青柳政司、齋藤彰俊の反選手会同盟を刺客として差し向けた。齋藤彰俊の項でも触れたとおり、反選手会同盟は新日本vs誠心会館の抗争から始まった反体制ユニットで、病気で小林邦昭が欠場していたものの、新日本本隊で猛威を振るっていた。また越中にとっても天龍は全日本から新日本へ移籍する際に、引きとめるジャイアント馬場を天龍が説得し「お前、メキシコで苦労して、どうせ金持ってないんだろ」と餞別としてつかみきれないほどの一万円札をポケットにねじ込んでくれた恩人でもあった。
ある日の大会に長州は現場監督の立場として越中を控室に呼び出すと「WARに乗り込む!とアピールしろ!」と命じられ、越中も"投げられた材料をモノに出来るか、そいつ次第"と考え、「天龍が長州とやらせろ!とか言っているけど、俺らが出て行くから。だいだい長州が天龍だ何だって、外に向いてガタガタやっているから内部の統制が取れなくて、オレらと選手会と対立するんだよ!だったら、オレらが天龍のところに殴り込んでやるって!」とマスコミにアピールしWARへ乗り込んでいった。越中も「元全日本同士による仲良しこよしみたいに、懐かしあって肩を抱き合うことはやめよう、一人のレスラーとしてWARを潰しにきた!という姿勢は崩さないで行こう」と述べていたが、天龍への恩に報いるにはWARを盛り上げるしかないと考え、敢えて敵となる覚悟を決めたていたのかもしれない。
9月15日、反選手会同盟はWAR横浜アリーナ大会に参戦、横浜アリーナ大会は元々SWSで押さえており、WARが引き継いだ形で開催され、まだWWF(WWE)との関係もSWSからWARに引き継がれてており、WWF王者だったリック・フレアーが参戦してメインでフレアーのWWF王座に天龍が挑戦することになっていたが、会場が大きすぎたのかチケットはさっぱり売れていなかった。ところが反選手会同盟が参戦することが発表されると新日本ファン層が興味を持ったのか、チケットの売り上げが一気に伸び、大赤字にはならなかったが、赤字どまりで被害は最小限に押さえることが出来たという。
しかし肝心の対抗戦では副将格の阿修羅原が負傷欠場、石川敬士も新日本との対抗戦には乗り気ではなかったため、青柳には折原昌夫、越中&木村にはサムソン冬木(冬木弘道)と北原が対戦したが、折原は青柳のニールキックで場外に吹き飛ばされてリングアウト負けとなり、平井伸和などWARの若手達が青柳を襲撃するも、彰俊が入って二人でWARの若手らを一蹴し、冬木と北原に至っては北原が右膝に集中攻撃を浴びてしまい、越中の逆エビ固めでギブアップするという惨敗に終わるどころか、館内はホームでありながら新日本ファンから"新日本"コールが巻き起こるという屈辱を味あわされてしまう。
この惨敗を受け、遂に天龍も「頭の下げっぱなしで、これ以上、北原と折原に恥をかかせられない」としてvs反選手会同盟に名乗りを挙げ、10・12札幌で天龍は北原と折原と組んで越中&木村&折原と組んで対戦したものの、折原は青柳によって顔面をボコボコにされ、セコンドのWAR若手勢も彰俊によって一蹴、天龍も袋叩きにされて流血となってしまう。それでも折原は懸命に粘ったものの、最後は越中のパワーボムの前に力尽きてしまい、館内はまたしてもホームリングでありながらも新日本コールが巻き起こり、天龍にはブーイングが浴びせられた。そこで越中は天龍が着いていながらも大惨敗を喫したWARに対して「次は天龍を潰すからな!それでWARは解散しろ!」と突きつけ、原だけでなく冬木までも負傷で欠場してしまったWARは旗揚げしてからすぐ崖っぷちに立たされてしまった。
そして話は戻って10月23日の後楽園大会を迎えたが、今回はテレビ朝日の「ワールドプロレスリング」で放送されることになり、実況席がセットされ実況に辻よしなり氏、長州の代理人として天龍ともフロリダ時代からの旧知の関係であるマサ斎藤が見届け人として陣取った。館内は新日本ファンも駆けつけたが、天龍の窮地を聞きつけた天龍ファンが大挙して駆けつけ、館内は異様な雰囲気となった。まず対抗戦第1Rでは折原が彰俊と対戦するが、彰俊のキックの前に折原は惨敗、襲撃をかけた若手らも青柳によって一蹴されるなど、天龍は崖っぷちどころか、崖から落とされ辛うじて岩にしがみついている状態まで追い詰められた。
メインの天龍&北原vs越中&木村は反選手会同盟が奇襲をかけ、開始前から石川敬士を加えたWAR勢と青柳と彰俊を加えた反選手会同盟と大乱闘となる。試合は北原と木村が先発するが、越中組は早くも北原を捕らえにかかり、天龍ファンからブーイングが起きるも、海外でヒール経験のある木村は敢えてアウウェイを意識してファンのブーイングを煽り、越中組がラフプレーに走れば怒った天龍ファンは物を投げつける。越中組が場外戦を仕掛ければ青柳と彰俊が介入すると、北原は流血、石川らWAR勢が青柳と彰俊を襲撃して乱闘となり、中には彰俊に蹴りを入れる天龍ファンもいれば、天龍ファンと新日本ファンがエキサイトしてケンカになるなど、館内はリングどころか客席までも殺伐とした雰囲気となってしまう。
ようやく天龍が登場して館内の声援は最高潮となり、場外戦になると再びWAR勢と青柳、彰俊と乱闘となり、天龍がピンチになって流血、再び交代した北原も越中のバックドロップの連発、木村の顔面蹴りを食らって窮地に立たされる。
越中は侍パワーボムで勝負に出るが、天龍がカットに入って袈裟斬りを浴びせ、それでも越中組に蹂躙された北原は越中のヒップアタックを喰らうも、やっと反撃した北原は天龍に交代、天龍も越中のヒップアタックの連打、木村の稲妻レッグラリットを喰らってしまうが、北原が懸命にカットする。
木村が北原を場外へ排除するが、再び青柳&彰俊とWAR勢が乱闘となり、天龍も放送席前で木村に襲い掛かると、マサ斎藤を巻き込んだため睨み合いとなる。場外で木村と石川が乱闘となっている間に、越中が天龍にジャーマンスープレックスホールド、そしてヒップアタックを狙うが、キャッチした天龍はトップロープに叩きつけ、後頭部ラリアットからラリアット、延髄斬りと畳みかけ、起き上がり小法師式逆水平、背面式ダイビングエルボー、北原が入ってサンドウィッチ延髄斬りを浴びせると、パワーボム、顔面蹴りから龍魂パワーボムを決め3カウントを奪い、崖っぷちのWARを守りきり、青柳や彰俊もWAR勢によって場外でKOされた。
試合後もパワーボムで越中を制裁する天龍にマサ斎藤が制止に入ると、天龍はマイクで「斎藤、オレは峠を越えたからな!新日本プロレス、来い!新日本ファン、来け!長州を出して来い!」とアピールすれば、マサ斎藤も「天龍、新日本は半端じゃないぞ!命を懸けて来い!」と返したことで、新日本vsWARの扉を一気に開けた。
現在のファンからしてみればアウウェイに立った選手に対してファンが蹴り、物を投げつける…信じられないことかもしれないが、今思えばWAR10・23後楽園は異様であり殺伐とした雰囲気はテレビで見ても充分に伝わっていた。もし天龍らが敗れていたら間違いなく暴動になっていただろうが、このギリギリの緊張感もまたプロレスなのだ。
天龍は新日本プロレス11・23両国には石川と北原と共に乗り込み、越中&木村&青柳の反選手会同盟と対戦し下すと、長州を呼び出して対戦をアピール、1・4東京ドームでの対戦をアピールすれば、アントニオ猪木まで駆けつけて「お前ら、やるんだったら歴史に残るような試合をやれ!勝った方に俺が挑戦してやる!」とアピールしたことで、猪木までも戦いの渦に加わろうとする。そして年内最終戦である12・14大阪では越中とのシングルがメインで実現し、天龍はパワーボムで降し、1・4東京ドームでの長州戦に繋げた。
(参考資料 GスピリッツVol.43「新日本プロレスvsWAR」新日本プロレスワールド WAR10・23後楽園で行われた天龍 北原vs越中 木村は新日本プロレスワールドで視聴できます)
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