(東京スポーツより)
平成最後の「プロレスオールスター戦」が実現する。“世界の16文”として一時代を築いた故ジャイアント馬場さん(享年61)の「没後20年追善興行」が来年2月19日、東京・両国国技館で開催されることが15日、本紙の取材で明らかになった。馬場さんが創設した全日本プロレスを筆頭に新日本プロレス、プロレスリング・ノアのメジャー団体が集結。華やかなプロレスの祭典が平成のラストを彩る。
オールスター戦は過去3回実現しており、2回が東京スポーツ新聞社主催で開催された。
歴史的な第1回は1979年8月26日に東京スポーツ新聞社創立20周年記念として日本武道館で開催された「プロレス夢のオールスター戦」。当時の全3団体が集結し、メインではジャイアント馬場、アントニオ猪木のBI砲が約8年ぶりに復活して、超満員札止めの場内を熱狂させた。
第2回は東日本大震災復興支援チャリティー大会「ALL TOGETHER(AT)」(11年8月27日、日本武道館)。メインでは当時の3団体の王者、棚橋弘至、諏訪魔、潮﨑豪が夢の揃い踏みを果たし、中邑真輔、杉浦貴、KENSO組と激突。同大会からは義援金5872万3560円が日本赤十字社を通じて被災地に寄付された。翌12年2月19日には仙台サンプラザで新日本、全日本、ノア主催による「AT」が行われた。女子のオールスター戦は94年11月20日東京ドーム大会が記憶に残る。
今回はどんな夢カードが実現するのか、注目される。
平成31年2月19日、両国国技館にて「ジャイアント馬場没後20年追善興行」を名目で平成最後のプロレスオールスター戦が実現することがごうじられ、近日中に会見が行われ。全日本プロレスが中心となって、新日本プロレス、NOAH、大日本プロレス、WRESTLE-1も名を連ねて参戦するという。
東京スポーツは"オールスター戦"と謳っているが、現在では団体や主催者がその気になれば、団体やフリーに交渉して選手を揃って興行を行うことから、オールスターという言葉は既に死語になつつあるのかもしれない。
オールスター戦が死語になっても、今でも生きている言葉とすれば「見えない壁」で昭和54年8月に最初のプロレスオールスター戦が開催されたときは、ジャイアント馬場とアントニオ猪木という見えない壁が存在しており、東京スポーツという第三者が間に立たなければオールスター戦は実現など出来ず、馬場と猪木の存在がある限り、オールスター戦は二度と開催されなかった。
そして21世紀となり新日本と全日本、NOAHがスクラムを組み1011年8月武道館で「ALL TOGHETHER」を開催したときは見えない壁はなくなったと思われたが、IGFがアントニオ猪木の威厳を示すためにIGFが同日に東日本チャリティー興行を名目にした「INOKI GENOME 〜Super Stars Festival 2011〜」を開催したことで、現在進行形の3団体と猪木の間で見えない壁が作られ、まだ現在も続いている。
もうIGFもなくなり、猪木もかつての力もないことで、もう横槍は入ることはないだろうが、協力する団体にNOAHとは絶縁状態の新日本が名を連ねていることから、出方次第では新日本と各団体の間に「見えない壁」が出来るのではないだろうか、現在の新日本は他団体の力を借りなくても充分にやっていけるのに対し、その他の団体はまだまだ力の差は歴然としている。
馬場さんの没後20年追善興行の後で何が出てくるのかわからない、新日本と他団体との関係改善か、それとも新日本が孤立していくのか、オールスター戦は夢だけでない、現実も見る場でもある。
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