ディック・スレーター

 全日本プロレスに参戦し、喧嘩番長として人気を博したディック・スレーターさんが死去した。享年67歳。 


 スレーターさんが1972年フロリダでデビューした後で、テリー・ファンクと邂逅し、ファンク一家の一員となって、1974年に全日本プロレスに初来日、テリーの弟分として売り出され、ジャンボ鶴田のライバルとして常連となり、1980年のチャンピオンカーニバルでは優勝決定戦にまで進出、鶴田に敗れて優勝を逃したが準優勝となった。 


 アメリカでもNWA世界ヘビー級王者への登竜門とされたミズーリ州ヘビー級王座を奪取、次期NWA世界ヘビー級王者の有力候補の一員となった。 


  そのスレーターさんの運命を変えたのは1981年2月、交通事故に遭い、この年のチャンピオンカーニバルへの出場をキャンセル。まもなく復帰し1981年7月30日にはビル・ロビンソンと組んでジャイアント馬場、ジャンボ鶴田組の保持するインターナショナルタッグ王座に挑戦する予定だったが、交通事故の後遺症で平衡感覚を失っており、試合が出来る状態ではなくなったスレーターさんは帰国、代役には凱旋したばかりの天龍源一郎が抜擢された。 


 インタータッグ挑戦を契機に浮上した天龍に対してスレーターさんは転落し、日本だけでなくアメリカでもトップ戦線から脱落、1990年に全日本を離れてからはIWA JAPANに参戦し、荒谷信孝を破って初代IWA世界ヘビー級王者となった。


 だが1996年に背中を負傷して引退、地元のフロリダで小売業者に転身するも、背中の痛みを抑える痛み止めの影響で交際相手の女性にナイフで傷を負わせたとして逮捕され、1年間の自宅軟禁と2年間の保護観察処分の判決を受けていた。 


 もしになるが、スレーターさんが万全でそのままインタータッグ挑戦となっていたら、天龍は再び日本を離れる予定だったという。天龍にとっても運命を変えた人物の一人だった。


 ご冥福をお祈りします。