アレックス・スミノルフ


 国際プロレス、全日本プロレス、新日本プロレスに来日したアレックス・スミノルフさん(本名 ミシェル・ラマルシュ)が腎不全で死去した。享年71歳


 初来日は国際プロレスではなく全日本プロレスで、1974年でマイク・デュボアというリングネームで単なる中堅レスラーに過ぎなかったが、アレックス・スミノルフにリングネームに改めると、国際プロレスでジプシー・ジョーに次ぐ外国人エースとなり、1979年7月にはエースだったラッシャー木村を降しIWA世界ヘビー級王者となった。

 しかし国際プロレスが崩壊寸前になると、新日本プロレスと全日本プロレスの間で選手の争奪戦となり、スミノルフも両団体からオファーがかかり、ポスターに掲載されるも、スミノルフは全日本を選択、ジャンボ鶴田の保持するUNヘビー級王座や、スタン・ハンセンやブルーザー・ブロディと組んでジャイアント馬場&鶴田のインタータッグ王座にも挑戦したが、全日本ではハンセンやブロディだけでなく、ハーリー・レイスなどの大物外国人選手がトップを占めていたこともあって、目立った活躍は出来なかったが、自分がスミノルフの存在を知ったのも全日本からだった。

 全日本との契約が切れると、1986年に新日本プロレスの参戦を果たすが、アントニオ猪木とのシングル戦は実現するも、ピークが過ぎたこともあって目立った活躍は出来ず、1987年に開催された「第5回IWGP」が最後の来日となった。


ご冥福をお祈りします。