1997年1月20日 全日本プロレス・大阪府立体育会館大会にて三冠統一ヘビー級選手権(王者)小橋健太vs(挑戦者)三沢光晴の一戦が行われた。
8月15日の更新分にて触れたように1996年7月24日の武道館大会で小橋は田上明を降し三冠王座を奪取、9月5日の武道館大会ではスタン・ハンセンを新技・剛腕ラリアットで降し初防衛、10月18日の武道館では川田利明と60分フルタイムドローと2度防衛に成功、そして2年ぶりに大阪府立体育会館で三冠選手権が行われることが発表され、次期挑戦者は誰になるのか注目されていた。
自分的には小橋とは何度も激闘を繰り広げていたスティーブ・ウイリアムスが有力だろうと思っていたが、12月2日の大阪府立体育会館大会で小橋vs三沢がアナウンスされると館内から大きなどよめきが起こったが、自分的には"まだ三沢は早いのでは"と考えていた。当時の小橋は昨年の最強タッグは三沢ではなくパトリオットと組んでエントリーするなど、超世代軍から卒業して一本立ちを模索していた時期でもあり、三冠王者になったにはなったものの、全日本プロレスのエースとはまだまだ認められていなかった。そういった意味では四天王の中心にいた三沢は最も越えなければいけない相手、小橋にとってエースと認められるか試されるタイミングが来たということだったのかもしれない。
自分もこの試合見たさに観戦したが、大阪は全日本が最も苦戦する場所だったにも係わらず、小橋vs三沢戦が行われるとあってイスがほとんど埋まり超満員となった。またシリーズ中には今まで鎖国だった全日本が他団体に門出を開放したことで、ジャイアント馬場社長と大仁田厚が会談し、ハヤブサの全日本参戦決まり、また崩壊したUWFインターナショナルから高山善廣が参戦表明し、ゲーリー・オブライトと組んで川田、田上明組の保持する世界タッグ王座への挑戦をアピール、大阪大会当日では秋山が田上とシングルで対戦したが、エクスプロイダーで4分48秒の速攻で勝利を収めるなど、時代は大きく動こうとしていた。
試合は三沢がエルボーを放てば、小橋は逆水平で応戦、三沢がランニングエルボーを放てば、小橋はショルダータックル、しかし三沢はエルボーの連打からドロップキックを浴びせ、スライディングキックで場外へ追いやると、エルボースイシーダを炸裂させ先手を奪う。
三沢は追撃を狙ってエプロンの小橋にロープ越しのバックドロップからセントーンを投下、早くもタイガードライバーを狙うが、小橋はロープに逃れ、フライングラリアット狙いをかわした小橋は袈裟斬りチョップからソバット、DDTと畳みかけて反撃、三沢は一旦間を取るために場外に逃れる。
リングに戻った三沢に小橋は逆水平を放てば、三沢はエルボーで応戦も、小橋はローリング袈裟斬りの連打で黙らせると、ブレーンバスターを着地して突進する三沢にキチンシンクの連打から、河津掛け、脇腹にニーを落とし、ロープへ降ろうとする小橋に三沢がエルボーで抵抗も、小橋はキチンシンクで再び黙らせ、押し込んでボディーブローの連打、ブレーンバスターの体勢から前へ放り投げ、弓矢固め、エルボーで抵抗する三沢のボディーにスピアー、コブラツイストと徹底した脇腹攻めで三沢のスタミナを奪いにかかり、試合をリードする。
小橋は串刺しを狙ってコーナーへ叩きつけるが、足でコーナーを踏み急ブレーキをかけた三沢はエルボーを狙うも、読んでいた小橋はトラースキックで迎撃、しかし倒れなかった三沢はエルボーを浴びせ、呼吸を整えてからエルボー、バックスピンエルボー、スピンキックと流れを変え、サーフボードで捕らえるが、小橋は力でひっくり返し、逆にサーブボードで捕らえたところで、三沢がカンガルーキックで逃れ、フライングショルダーを発射する小橋をエルボーで迎撃する。
やっと自分の流れになった三沢はセカンドコーナーからスクリュー式ミサイルキックを発射、小橋は一旦場外へ逃れ、戻ったところでダブルアームスープレックスで投げ、エルボースマッシュの連打、逆水平で抵抗する小橋にエルボーの連打で黙らせると、ダイビングエルボードロップからフロッグスプラッシュを投下、キャメルクラッチ、ジャンボ鶴田を絞め落としたフェースロックで、今度は三沢が小橋のスタミナを奪いにかかる。
三沢はエルボーから、ジャンピングキックを連発するも、キャッチした小橋はX字のように逆水平を連発、三沢も負けじとエルボーで応戦すれば、小橋も逆水平、ビックブーツの打ち合い、三沢が小橋の背中にエルボーを落とせば、小橋もキチンシンクと激しく打ち合い、三沢がエルボーの連打で小橋を場外へ追いやり、三沢が三沢式フェイントから、足を掴んで来る小橋を鉄柵へ蹴り出すと、エプロンからエルボースイシーダを発射するが、小橋がかわしたため、三沢の右肘が鉄柵に直撃してしまう。
小橋は先にリングに戻り、エプロンに立った三沢に剛腕ラリアットを炸裂、三沢は場外まで吹き飛び、自分は一瞬アントニオ猪木vsハルク・ホーガン戦が頭によぎってしまった。それでもリングに戻った三沢はエルボーで反撃も、威力がないことで右肘を痛めていることが、わかった小橋は右肘に集中攻撃、場外戦で鉄柵を使い、コーナー越し、ロープ越しとショルダーアームブリーカーを連発、腕を決め式DDTから腕十字と、三沢の伝家の宝刀である右肘を破壊にかかる。
三沢はコーナーに押し込んで右腕に逆水平を連打してから、腕を決め式DDT、ショルダーアームブリーカーと攻め込み、三沢はたまらず場外へ逃れるも、リングに戻した小橋は右腕にビックブーツを連発、威力のない右肘でのエルボーで抵抗する三沢にハーフネルソンスープレックスで投げてから腕固めで捕獲、逃れてもなお抵抗する三沢に脇固めを決めるなど追い詰めにかかる。
小橋はショルダーアームブリーカーからジャーマンスープレックスで投げ、着地して突進する三沢を一本背負いで投げると再び腕十字で捕獲、逃れた三沢にローリング袈裟斬りを浴びせ、スピンキックを放つ三沢をキャッチしてそのままバックドロップで投げると、勝負と見て剛腕ラリアットを狙う。
しかし三沢は前蹴りで迎撃すると、再び剛腕ラリアットを狙う小橋の右腕にエルボーを浴びせ、小橋はたまらず右腕を押さえてうずくまり、場外へ逃れるが、三沢はスライディングキックで追撃してトルニージョを炸裂させる。
やっと流れを変えた三沢は左腕でのフライングラリアット、そしてタイガードライバーを狙うが、右腕の痛みで上がらない、そこで小橋は剛腕ラリアットを狙うが、三沢は両腕でガードしてジャーマンで投げ、タイガードライバーを決めるも、小橋はカウント2でキックアウトする。
三沢はエプロンへ向かい、阻止を狙う小橋にロープ越しのエルボー、そしてコーナーからミサイルキックを発射するが、小橋は剛腕ラリアットで迎撃、三沢を何度もカバーするが、三沢も必死でキックアウトする。
小橋はパワーボムを決めるが、これもカウント2でキックアウトされると、スピアーを放つ三沢に田上戦でフィニッシュになった後頭部へのギロチンドロップを連発、長らく出していなかったオレンジクラッシュも出して、今までの引き出しまで出すが、それでも三沢はカウント2でキックアウトする。
小橋は再び剛腕ラリアットを出し、三沢もガードするが、小橋は強引に浴びせ倒し、エプロンに出た三沢を断崖式パワーボムを狙う、観戦していた自分も「それは危ない!」と思わず叫んだが、三沢は断崖式ウラカンラナで切り返し、小橋は大ダメージを負うも、捨て身の技だったこともあって三沢自身も大ダメージを負ってしまう。
大ダメージを負った両者は何とかリングに戻り、三沢はエルボー、左のラリアット、エルボーと浴びせてからバックドロップで投げ、渾身のローリングエルボーを連発も、3発目は小橋が剛腕ラリアットで迎撃するがダメージでカバー出来ない。
三沢は左右エルボーも、小橋はジャーマンで三沢を脳天から叩きつけ、再び剛腕ラリアットを狙うが、胴タックルで迎撃した三沢は小橋の後頭部にローリングエルボーを炸裂させ、投げ放しタイガースープレックス、カウント2でキックアウトする小橋に奥の手のタイガードライバー91を決め、勝負あったかに見えたが、カバーに遅れたのか、小橋はカウント2でキックアウト、三沢のタイガードライバー91が決め手にならなかったのが、この試合で初めてだった。
三沢は小橋を起こそうとするが、小橋は剛腕ラリアットで抵抗も、ダメージのせいで完全に威力がなく、三沢は投げ放しタイガースープレックス84からランニングエルボーで3カウントを奪い、王座を奪取、42分6秒の死闘に終止符を打った。
試合後の二人は三沢がやっと立ち上がってベルトを受け取るも、小橋は立ち上がれず、三沢は倒れたままの小橋の手を掴んで握手、そしてよみうりテレビによる勝利者インタビューも大ダメージのため今回ばかりは拒否して、付き人だった浅子覚の肩を借りて、バックステージへと下がり、小橋も志賀賢太郎や金丸義信の肩を借りてバックステージへと下がっていった。小橋は脳震盪で病院へ搬送され、三沢は以前から出演予定だった日本テレビのスポーツニュース番組に大阪から中継で出演、東京で司会している中畑清からのインタビューに答えていたが、いかにもしんどそうにインタビューに答えていた。
小橋は後年「この試合はもちろん勝ちたかったけど、それと同等なくらいに自分のやってきた言葉に責任を持つ。チャンピオンとしての試合をしなければいけなかった。チャンピオン=エースっていう自分のなかでそういうものがあるとすれば、この試合でエースとは何か、チャンピオンとは何か、それをイコールで結ぶ試合をしなければならなかった。結局、オレは負けてしまったんだけども、でもそれは決してマイナスでなかった。自分を大きくしてくれた試合のひとつだと思うし、だからこの試合の前に母親に電話して「オレに何があっても三沢さんを恨まないでくれ」って言ったのは、三沢さんにそれだけ突っ込もう思っていたから、自分をぶつけようと思っていたよね。三沢さんはそれを正面から受けてくれたよ、正面から受けてくれたよ、応えてくれたよね、断崖式パワーボムがウラカンラナで切り返された時は、なんかそれがよくわかるよね。オレはエースは三沢さんだとわかっているわけ、自分の中でそれを消化してしまえば楽なんだけど、そうしたらチャンピオンの意味がないんだよね、チャンピオンは小橋だけど、エースは三沢だという世間の声に、自分なりに答えを出すか、チャンピオンだったけどチャレンジャーだったのかな。オレは負けてしまったけど、三沢がチャンピオンなり、チャンピオン=エース、其の言葉に戻ったけど、この試合を経て後退はしなかったよ、そのことは悩み苦しんでこの試合に持って挑んで、自分の中で、スッキリとはいかないけど、ここまでやれたからね」と答えていたが、確かに小橋は敗れたが、三沢からエースとは何か、王者とは何かというものを改めて叩き込まれた試合で、小橋にとってもエース=王者になる手応えを掴んだ試合でもあった。
二人はその後3月28日、長岡でチャンピオンカーニバルの公式戦で対戦し、小橋が剛腕ラリアットで3カウントを奪い、やっと三沢からフォール勝ちを奪うも、肝心の三冠戦では三沢に敗れ、三沢の存在をなかなか越えることが出来なかった。四天王プロレスがピークが過ぎつつあって1999年1月に馬場が死去、三沢社長に就任することで一歩引き、小橋を前面に押し出そうとしたが、三沢が全日本プロレスを退団するとNOAHを設立、小橋も追随して参加、二人は2003年3月1日の日本武道館で対戦し、小橋が剛腕ラリアットで三沢を苦だしGHCヘビー級王座を奪取、やっと三沢を超えることが出来たが、タイトルをかけた二人の試合はこれが最後となったが、この試合が二人にとって集大成的な試合だったのかもしれない。
今でも思うことだが三沢vs小橋戦は1997年1月20日 全日本プロレス・大阪府立体育会館での試合が自分にとってベストバウトであり、現在でも忘れることが出来ない試合のひとつである。
(参考資料 ベースボールマガジン社 四天王プロレスFILE)
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